How to use Japanese make a mistake?
 
貴方の日本語、間違えていませんか?

▼△ ファミコン言葉 △▼


ファミコン言葉って…


「〜のほうお持ちしました」「こちら〜になります」「よろしかったでしょうか」
――俗に『ファミコン言葉』と言われている言葉です。 ファミレスやコンビニでよく使われる『間違い敬語』だから、ファミコン言葉。ですが、それ以外の場所でもよく耳にしますよ。

でも、じゃあ全部が全部間違いなのか、と言えば、そうでもなさそう。

例えば、「〜のほう」。
元々この言葉には物事をぼかして言ったり遠まわしにして言ったりする用法と、何らかの対比・比較する対象を念頭において、「○○より△△のほうが好き」や「勉強のほうが済んでから遊びなさい」と言う使い方があります
なので、二品以上注文したお客様に対して、ウェイトレスが「○○のほうをお持ちしました」は適切な言葉なのです。
ただし、コーヒーだけを注文したお客様に「コーヒーのほうをお持ちしました」と言うのは間違い。「おつりのほうは230円です」と言うのも、「〜ほう」のもう一つの意味、ぼかして言う言い方にもなってしまうということで、正確さが要求される場面で適切な言い方とはいえなくなります。

一つは正しいのに、もう一つの使い方がおかしいから、全部が全部「間違えた敬語」として評価されてしまっている可能性がある、この『ファミコン語』。
実際、「〜になります」は、文法的には正しい文だし、「よろしかったでしょうか」は、『過去のことについての現在における評価』を表す表現として理解できるのです

敬語だけでなく、どんな言葉もそうですが、『どんな場面でも使える丁寧な接客表現』というものはありません。
「この状況の時はコレ」「こういう場面の時はコッチ」と、その時々に相応しい場面で使いこなすのはかなり大変ですが、お店のイメージアップの為にも、挑戦する価値はありそうですね。

その敬語、大丈夫ですか?

「できるだけ丁寧に言おう」と思って、うっかり過剰に敬語を使ったり、二重敬語になっていたり、「お」「ご」を使いすぎていたり――そんな記憶、ありませんか?

日本では礼儀を重んじるのが美徳とされ、目上の人・先生・上司・先輩などに対して、目下の人や同僚に対するのとは違った言葉遣い、つまり敬語を使わなければならないのが一般的とされています。
しかし、この敬語。『尊敬語』・『謙譲語』・『丁寧語』と三種類あり、更に『美化語』も加わってくるので、使いこなすには一苦労。海外の人で日本語を習う際に厄介だと感じるのも頷けます。

敬語の種類について簡単に復習してみますと…

種 類 意味
尊敬語 こちら側が相手を尊敬する言葉遣い 「召し上がる」
「おっしゃる」
謙譲語 こちら側が相手に対して『控えめ』な言葉遣い 「いただく」
『伺う」
丁寧語 こちら側が相手に対して、たんに丁寧に述べる言葉遣い 「〜です」
「〜ます」
美化語 自分が使う言葉を美化する言葉で、上品さを強調する 「お食事」
「お抹茶」

となります。

間違えやすいのが、まず尊敬語と謙譲語の混同です。
とくに「上司が申される」のように、「言う」の謙譲語である「申す」に「れる」をつけて尊敬語とする人が多いですが、実は謙譲語に「れる」をつけても尊敬語にはなりません。むしろこの場合は、「上司が言われる」の方が良いのです。
また、客観的な立場にあって敬語を使う場合に用いられる丁寧語は、さらに進むと美化語になります。言葉遣いを美しくして、上品さを強調するこの美化語は、しかし乱用すればかえって品位を落としてしまいます。

更に、モノに対して敬語を使ってしまったり、丁寧な言い方をしたつもりで使った言葉が相手に対して慇懃無礼な印象を与えてしまったり…本当に『敬語』は難しいものです。

ビジネスの場面では、さらに『手紙や文書で使う敬語』『電話の際に使う敬語』もあるんですから。

まさに「敬語は一夜にしてならず」――ですね。

若者言葉な敬語


「アタシって、朝弱いじゃないですかぁー」――なんて言われても、「ンなコト知るか!」とツッコミたくなる。
「わたし的にはOKです」――と言われても、丁寧な言い方とは思えない。

若者が使う敬語の中で、「?」と感じるものを、とりあえず2つだけピックアップしてみました。
他にもまだまだありますが、それはおいおい…

さて。
一番最初の「〜じゃないですか」については、イントネーションの上げ下げで意味が変わりますが、はっきりと言い切らないまでも断定に近い確信の度合いで相手に主張したり確認したりする用法です。
しかし、例にあげた「〜じゃないですか」は、話し手だけが知っていて自分が知るはずのないことに共感を求められるわけで、不快に思う人がいるのはある意味当然。
これは、自己紹介的なフレーズとして「私は朝が弱い」と言いたいところ、社会人として丁寧な言葉を使わなければならないと考えたからこそ使ってしまっているのかもしれません。しかしそうだとしたら、これはかなり逆効果ですから、早く自覚してもらわなければならないでしょう。

次の「わたし的」は、言い換えれば「わたしとしては」になり、「他の人はともかく、自分はこう考える」という気持ちを表す語となります。他の人の別の意見があることを認めた上で自分の意見を述べるわけですから、一見思慮深い述べ方のように思われますが、その陰にはストレートに自分の意見を言おうとしない『逃げ』の姿勢も感じられます。
『的』には、『そのものズバリではないが、それに似ている』、『そのような性質を帯びている』という意味があります。ものごとをはっきり言わないであいまいにぼやかす最近の風潮に、この『的』を使えば厳密な表現を使い分けなくてもいいという便利さが上手くマッチして、それで「わたし的」のような表現が生まれてしまったのかもしれません。
ただし、便利だと使い続けていると、意味があいまいになって、聞き手に正しく伝わらないおそれがあります。日本語的にも正しいと言える表現ではないのですから、使わないことを目指した方がベストでしょう。

丁寧に言えているつもりでも、それが『若者言葉』まじりだと、一気に評価が下がります。それだけでなく、自分の言いたいことがきちんと伝わらず、折角のプレゼンテーションも無意味なものになりかねません。
服装や身だしなみと同様に、敬語もTPOが大事。『若者言葉』は同年代の友人たちと思いっきり喋ることにして、それ以外の場面では敢えて『若者言葉』を封印しておいたほうが良いかもしれません。

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参考: 『問題な日本語』(大修館書店 発行/北原保雄 編) 
『恥をかかない日本語の常識』
(日本経済新聞社 発行/日本経済新聞社 編)